それから三十分後、台北市内のファッションビルに三人の姿があった。クリスマスを一ヵ月後に控えた商業施設はどこもかしこもきらびやかに飾り付けられ、道行く人の顔も心なしか明るく見える。
多分、ここで浮かない顔をしているのは允花だけだろう。
「俺は17の女の服なんてわからねえからなあ」
「僕だってわからない」
「あの……」
嵯峨と周防が話している、その間に挟まれて允花は狼狽えるばかりだった。一体何をするつもりなのかと何度聞いても無視されて、半ば強制連行されるように繁華街に連れてこられただけだ。
「まぁ女の服自体よくわからねえんだけどな」
「男だからしょうがないといえばそうだな」
「ちょっと……」
「けどここで足踏みしてたってどうしようもねえしな。適当に入ってみるか」
「それしかないだろうな」
「ちょ、ちょっとまっ――!?」
「ほら、つべこべ言ってねえで入るぞ」
「失礼するよ」
結局二人から両脇を抱えられるようにして、嵯峨の言うとおり「適当に」選ばれた店の中に允花は連れ込まれた。
「いらっしゃいま、せ?」
当然、店員は突如来店した奇妙な客に不思議そうに首をかしげている。カップルではないだろうし、友人同士と言うには組み合わせがちぐはぐだ。大体、店のターゲット層であるはずの少女本人が「わけがわからない」と言いたげな顔をしているのだから。
店員が顔を強張らせると、嵯峨がにっこりと底のしれない笑みで先手を打つ。
「ああ、すみません。実は折り入って頼みが。妹がデートにこんな格好で行くって言うもんだから兄として情けなくて」
「えっ」
なんでそんな設定になっているのかと允花は絶句してしまった。
「まあ、デートに?」
それでこの状況に納得したらしい店員から不憫そうな目で見られているのが情けない。が、允花に言わせてもらえば自分だってデートだったらもう少し着飾るに決まっている。まあ今のと似たり寄ったりになりそうだし、全員から「何が変わったんだ」と呆れられるかもしれないけど。
「でしょう? だから兄二人でこいつを頭のてっぺんからつま先までお姫様にしてやろうって思って」
「お姫様……」
允花は顎が外れるかと思った。なお周防は言葉が通じないため話の中身などつゆ知らずただ終始ニコニコしている。
「とはいっても男二人じゃやれることに限度がある。化粧とか、髪とかね。まぁその前に服を買わなきゃいけないんだけど、この店ならできそう……ですよね、大変身?」
挑戦的な言葉と値踏みするような視線にむっとしたのか、それとも少女の変身というロマンティックなテーマに心動かされたのか、あるいは両方か。とにかくスイッチが入ったように、店員は握りこぶしを作ってみせる。
「もちろんです! お任せください、妹さんを見違えるほどに変身させてみせましょう! ええ! うちには美容学校を出たスタッフもおりますから!」
どうやらヘアメイクも任せろと言うことらしい。
店員は胸を張る。允花は眉を寄せる。嵯峨はしたり顔で頷く。周防は相変わらず訳も分からずに笑っている。
四者それぞれの胸のうちが交錯する中、大変身への幕は切って落とされた。
「少なくともパンツではなくスカートで、ワンピースはいかがかしら?」
「は、はあ……」
「なんだって?」
「ワンピースはどうかってさ。おい、允花、短すぎるのは駄目だぞ、清楚に上品にな」
「そうだな、膝上は論外、せめて膝下五センチは欲しいところだな」
「……お前マジで妹いたら嫌われただろうな……」
「な、何を根拠に!」
「あ、娘ができたら年頃になったときに絶対今と同じようなこと言って嫌われる。間違いねえわ」
「失礼な!」
人の気も知らないで好き勝手なことを……と、允花は店員の肩越しに恨みがましい目を向けた。が、嵯峨も周防も話に夢中でこちらを見もしない。
「何よ、連れてくるだけ連れてきて!」
ぼそっとこぼした愚痴に、店員が笑う。
「いいお兄さんですね」
「……そうですか?」
「ええ。普通は妹をどこの馬の骨とも知れないヤツに! なんて言うものですよ。……あ、お客様が大事にされてないってことじゃないですからね!」
慌ててフォローする店員に允花は苦笑した。大事も何も、実の兄でもないのだから気にするまでもない。
「あ、これかわい――」
ハンガーにかけられていたワンピースをあれこれ物色していた允花だが、藍色の一着を手に取り、固まってしまった。
デザインも色も好みのど真ん中なのだが、値段が十倍。允花が買ったことのある服の、軽く十倍以上する。
(た、高……! こんなに高いの!?)
こんな服をとっかえひっかえ着ることができる女の子なんてこの世にいるんだろうか。……いるのだろう、こうして服の方は存在して待ち構えているわけだし。
世の中にはすごいお嬢様もいるものだと允花が見当違いの感心をしていると、目ざとい店員がすっ飛んでくる。
「そちらこの秋の新作なんですよ〜こちらがお色違い、このあたりのお色ですとこちらのデザインもおすすめです〜」
しかし店員は允花の考えなど知るわけもなく、あれやこれやと何着もの服を押し付け、挙句の果てに「試着室はこちらです〜」と、有無を言わさずに押し込むだけだった。
一方の男性陣は雑談をするばかりだったのだが、しばらくして允花の姿が店内にないことに気づく。
「あ、ちょっとお姉さ……」
「妹さんでしたらご試着中ですよ!」
店員を呼び止めようとして、嵯峨は呆気にとられた。にこやかに試着室を指差す彼女の腕に、コートだの鞄だの靴だのが山と抱えられていたからだ。その彼女も試着室のほうへ恵比須顔で足早に向かっているのであれも全部允花のためのものに違いない。
「あ、そう……」
確かに靴も鞄も必要だろうけど、ああいうのって妙に高かったりすんだよな……こりゃとんでもないことになったかもしれない。と、嵯峨はこめかみのあたりを押さえてしまう。
「……金なら貸すぞ」
周防もまた困ったように笑っているが、言葉の中にはからかうような色が窺えなくもない。
ああ、どうしてこうなったのか。やはりカジノであんなこと言ったのがいけなかったのか。
「これに懲りたら安易に女性を口説かないことだな」
「口説いてねえよ」
考えを読んだような周防の言葉には、力ない返事しか出てこなかった。口説いてはいないが、口説きたいと思えるくらいには着飾ってほしいと思う。
「――ま、いいか。あんな地味で貧相な恰好してるのは見てるだけで気の毒だ」
そのセリフが意味するのは、同情というよりは自己保身かもしれない。差し伸べられる手を持っているくせにそうしないというのは、差し伸べる手を持っていないよりも後ろめたいものだから。
(浄財と思えば、まあ……)
カジノからくすねた金のことは周防には言えないので、内心だけで自分を納得させることにした。
ふと、昼間のことを思い出す。
「ああ、そういやアレ、調べたぜ。通話記録はなかったよ」
「ん、そうか。少なくとも電話での連絡はなかったか……」
「少なくとも、って」
周防までスパイ映画めいた話をするのかと呆れるが、嵯峨とは対照的に周防は真剣そのものの表情を浮かべている。
「電話以外の手段で連絡したっていうのか? 矢文とか? 伝書鳩? それとも狼煙ってか?」
忍者じゃあるまいしと笑うと、周防は「非現実的だな」と一蹴する。俺だって本気で言ってるわけじゃないと抗弁する間もなく、周防は仮説を述べ始めた。
「もっと単純に考えるべきだ。例えば対面での連絡だって可能だろう? 君がシャワーを浴びている間にドアを開けて誰かと接触することは十分可能なはずだ」
今度は推理小説みたいになってきたな……とは言えなかった。
確かに言われたとおりのことは不可能ではないし、夜の間だってずっと起きていたわけではないので、周防の推測を否定することはできない。しかし、
「そりゃそうかもしれねぇけど、大体、今更そんなことして何になる?」
天道連はほぼ壊滅だ。死海幇だってここまで話が大きくなった今、トカゲのしっぽ切りを決めていてもおかしくはないだろう。こんな状況で、小娘一人に何を任せるというのか。
周防は口元覆ってしばし考える。が、答えは出なかったらしい。
「……それはわからん。しかし、ああまで必死に我々と行動を共にしようと食い下がってきたのだから、相応の目的があると思うのは不自然ではないと思うが?」
確かに、周防の言うことのほうが現実味のあるものだと思えた。日本に行きたいからと駄々をこねたのも、何らかの目的があってのことだと考えるほうが自然だ。
しかしそれでも允花がそんな企みを抱えているとはどうしても思えない。どう考えても、彼女は腹芸のできる人間ではない。
「……考えすぎだ。捜査があまりにもうまくいったから、疑心暗鬼になってるだけさ」
それは嵯峨自身にも当てはまることだった。今にきっとしっぺ返しがくるのではないかという不安感は、考えのどこかにひっかかっている。あまりにも非現実的かつ非合理的なのに、時折そういうオカルトじみた考えが当たったりするからまたタチが悪い。
周防にも心当たりがあるのだろう。
「……確かに、僕も疑り深くなっていた。しかし用心だけは怠らないようにしよう」
「ま、そうだな」
彼らしい一言を最後にその話は終わった。そのあとはたわいもない雑談に興じていたのだが、女の支度や買い物は時間がかかるものである。允花が試着室に入って数十分が経つころ、嵯峨がしびれを切らして腰を上げた。
「……煙草吸ってくる」
「堪え性がない男だな、君は」
そういう周防の顔にも疲れの色が見えるので誘うのだが、彼はその場から動こうともしなかった。かといって、嵯峨が諦めるわけでもなく。
「つったってもう一時間だぞ? まだかかるに違いないし、ぱっと行ってさっと戻るから――」
と、嵯峨が踵を返しかけたところに店員が浮き浮きした足取りで近寄ってくる。
「おまたせしました、妹さん、大変身です」
タイミングは失したが、とにかく状況が動いたのはよしとしよう。今度は周防も立ち上がり、試着室のほうへと男二人は歩を進めた。
店員妙に誇らしげな表情から察するに、允花はかわいらしく着飾ったらしい。まあ元の素材はいいしな、と、嵯峨が上から目線で納得していると試着室のカーテンが開く。
「――」
「へえ……」
息をのんだ嵯峨の横で、周防が感心したように顎を引いている。確かに、現れた允花は見違えるほどにかわいらしく変身していた。
ウエストを絞ったワンピースは彼女のスタイルにぴったりだし、丈も膝のあたりまでで清楚なイメージを与えている。ついでにヘアアクセサリーまで選んだのか、髪は頭の後ろで複雑に編み込まれているらしい。頬が桃色なのは照れか、それとも化粧をしてもらったのか、定かではないがとにかく大変身という言葉には間違いはなかった。
「……どうかなあ?」
片手でスカートを軽く持ち上げ、はにかみながら見つめてくる允花を、嵯峨は何も言えずに見返すだけだった。
「よく似合ってるよ」
さらりと周防がほめているのが妙に癪に障る。そういうタイプだとは思っていなかった周防が難なく返事をしたというのに、自分は何も言えていない。
「薫さん、変……? これでも、だめ?」
「ああいや、ええと……」
不安そうな允花に申し訳ないとは思うのだが、何を言ったらいいのかわからない。
似合ってる、周防と同じことを言うのは癪だ。
かわいい、そりゃそうだが正直に言うのはなんだかこっぱずかしい。
「……いいんじゃないか、うん」
結局濁すような言葉に落ち着いてしまい、自己嫌悪にかられてしまった。何をやっているんだ俺は、十代のガキじゃあるまいし……。後悔してもどうしようもない。允花は少し落胆したように笑いながら、「ありがとう」と言うだけだった。
「このまま着ていかれます?」
「ああ、着てた服は適当に袋に入れてください」
「かしこまりました」
店員相手にはそつなく対応できるというのに、何を変に意識しているのか。周防からもそんな視線を感じる。居心地はきわめてよろしくない。
「あ、そうだ」
別に話を逸らしたかったわけではないが、嵯峨は声を上げた。試着室の中にまだワンピースやらなにやらがかかっている。
「あと何着か買っとけ。同じ服ずっと着るわけにもいかねえだろ?」
「え、でも……」
允花は目に見えて戸惑っている。やっぱりこんな素直な少女が何かを企んでいるわけがない。
「いいから。金は気にすんなよ、な?」
カジノからくすねた金が全部消えそうだったが、いくら上等な服とはいえ年頃の少女に着たきり雀を強いるのも心が痛む。
「んーと……じゃあ、これと……これもお願いします」
「かしこまりました。いいお兄さんですね」
店員は上客に愛想を振りまくと、レジカウンターへと嵯峨を促した。
「ありがとうございました」
店員に見送られる允花は両手にショッピングバッグを抱えてホクホクしているが、嵯峨は懸念どおりに残り僅かになってしまった紙幣をポケットに仕舞いながら肩を落としている。
「これも人助けってやつか……?」
「そう思うならもっと晴れやかな顔をしたらどうだ?」
周防の言うことももっともなのだが、所詮は他人事だと割り切っている顔が腹立たしい。
「今日の食事代は僕が出そう」
「へっ、お優しいこって」
口から洩れたのは笑い声か、落胆の溜息か。嵯峨は眼鏡を外して眉間を押えた。
「ありがたすぎて涙がちょちょぎれるぜ」